熱望よドアを叩け

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ラノベフォーマットとアニメフォーマットとソシャゲフォーマットの話 プレイヤー視点

ダンメモのアニバイベ、アストレア・レコードが最高だったのでその勢いでこの話。

プレイしてて思ったことを書き殴る感じで。

ラノベ、アニメ、ソシャゲの中で一番自由度が無いのはソシャゲ

前提:フォーマットとは

ラノベ、アニメ、ソシャゲそれぞれには表現できる範囲に当然差がある。

例えばラノベは地の文をふんだんに使って情景描写ができるが絵、音あたりの制約が強い。

アニメは絵と音については自由度が高いが、地の文は使えない、毎話ある程度区切りをつける必要がある、時間的制約も強いという欠点がある。

ソシャゲは文字を使えるし絵も使える。ただしラノベほど自由に文字表現ができるわけじゃないし、アニメほど自由に絵による表現ができるわけでもない。

ここではそれぞれ固有の長所短所をまとめて「ラノベフォーマット」「アニメフォーマット」「ソシャゲフォーマット」と表現する。

ソシャゲは表現の自由度が低い

上記のソシャゲフォーマットに起因する制約について。

1タップあたりせいぜい3行しか文字が表示できない

絵を大きく映して画面下部にテキストボックスを表示する、という画面レイアウトによる制限。

ソシャゲとしてはこの形がマストではないはずだけど一般的にこのレイアウトになっているソシャゲが大半。

ノベルゲーからの歴史を感じる。

地の文が使えない

使えないことはないはずだが、上記の通り3行程度しか一度に表示できないため、ダラダラと地の文による情景描写を続けることができない。

ボイス、演出の速度を管理できない

ユーザ側に文字表示速度の設定があることが大半、しかもユーザによってはサクサク飛ばしたかったり文字を最低限読めれば演出はそこまで見ない(そもそもソシャゲの演出に期待していない)人も多い。

人間が文字を読む速度と音声が流れる速度にとんでもない乖離があることに起因。

古来のノベルゲーギャルゲーエロゲーからずっと抱え続けてるけど誰も解消できていない(気がする)問題。

言ってしまえば制作側が期待しているであろう臨場感の類がほぼ完全に放棄される感じになってしまう。

その辺りの負の遺産を引き継いでしまっているんだけど、いい解消方法は本当に思いつかない。どうすりゃいいんだ。

アプローチの一つとしていわゆるノベルゲー的な演出に部分部分アニメを足すことにより、臨場感をどーんと与えたいところを局所的にそれっぽくする手法が使われる。

一番有名どころだとプリコネReDive。古いノベルゲーでもちょいちょいあったりする。

ただ、どうしても立ち絵と比べると作画が微妙になったりする。当然だし仕方ないんだけどこれがうーん?ってなる人は多い印象。

あと多分コストが段違いに上がる。修正が必要になったときも大変。

シナリオすすめるたびに数十MBのアニメDLが走るし、シナリオスキップしてもアニメが割り込んでくる。ログで聞き逃した部分を読み直すこともできない。一般的なソシャゲと比べてユーザーフレンドリーな演出仕様とは言えないが、プリコネ運営はその辺割り切ってる印象。

シナリオとゲーム性の比重コントロール(別にシナリオ読まなくても楽しめる)、後は石配布等々を上手くコントロールすることで不満を爆発させず人気を保てているので、そこらへんは普通に凄い。

臨場感を出す、プレイヤーをのめり込ませるための演出の制約が滅茶苦茶厳しい

例えばラノベだったら喋りに割り込ませる形で地の文に入ったり他のキャラのセリフを載せたり、アニメだったらまんま演出で強制的に割り込ませることができるけど、

ソシャゲというかノベルゲーは画面遷移・文字送りにかかる時間がある程度決まっていて、それよりも短いタイミングでの割り込みみたいなことがなかなかできない。

また、シナリオを読ませるだけでなくシナリオ内の戦いを演出するために戦闘フェーズを挟む必要があるが、これがグダグダさを作り出してしまう。

これはダンまち原作・アニメとダンメモ通常シナリオを比べると凄くわかりやすい気がする。

どうしても臨場感が原作・アニメと比べてソシャゲが負けちゃってるなーってなってしまう。

上手く折り合いをつけてる例

これら完全に克服できてるソシャゲは今の所みたことが無いけど、程よく妥協し上手くソシャゲの演出に取り込むことで臨場感を高めている作品はある。

具体的には挙げる例としては、アークナイツの本編シナリオ6章最終戦アイギスの2019年エイプリルフールイベ及びアニバイベ(アイギスに関しては他にもあるけど、個人的に特に印象が強いのがこの2つ)。

両方ともタワーディフェンスゲーム。

アークナイツの方に関しては何書いてもネタバレになるので書きません。是非体験してくれ。マジで。

アイギスの2019エイプリルフールイベ、詳細は省きますが本来味方のキャラが絶望的なくらい強い敵として進軍してくる。

本当にそれだけなんですけど、このシナリオに異常なまでの実感、重みをもたせる結果になってる。

同じくアイギスの2019年アニバイベ。今までのアイギスのイベントクエスト周りの大きな流れの一旦の結末となるイベント。

前半は今までいろんなイベントで出てきたボスキャラ達と順々に戦っていくっていう流れ。

前提としてこれらのクエストでは出てくる敵全てを倒さなくてもクリアとなる。その上、このボスキャラ達は暫くしたら自動撤退して討伐扱いになるという優しい仕様。これはこのイベントが初めてではなく、これまでも同じような敵は結構いた。

で、今回のイベントもその仕様だったんだけど、このボスキャラ達をちゃんと倒すとそれぞれ固有の会話演出が発生する。

このセリフがそれぞれ今までアイギスをプレイしてきたプレイヤー的にはちょっと胸が熱くなっちゃう感じで凄く良かったんですよね。思わず必要性がなくても倒すために何度か挑戦しようと思えるくらいには。

そしてこのイベントでのラスボス戦。

味方キャラの力で特定のマスに配置したキャラには固定で超強化バフがかかる演出仕様が実装。

これがどれくらい絶妙なバフかというと、頭使わずに適当にキャラを置くだけだとトップレアキャラをズラッと並べても普通にブチのめされるけど、ちゃんと戦況をコントロールすれば低レアLV1だけでも勝てる、っていうレベル。

実際にやってみるとマジですごいな…ってなる。

で、これの何が良いってだいたいどのキャラを使っても戦えるってことなんです。

普段使ってる最強編成で全力で殴り合うもよし、上記の通り低レア縛りで勝つもよし、シナリオでてくるキャラクターだけで戦うもよし、思い入れのあるメンバーを並べるもよし。

ラスボスとの戦いに自分の今までのゲームへの思い出を投影できる、本当に良い調整でした。

こういった演出を戦闘に取り込むのがタワーディフェンスは他と比べてやりやすいってのがあるのかもしれないが、タワーディフェンスタワーディフェンスで「自分たちが攻め込んでいる」っていう演出が戦闘の中で殆ど見せることができないってハンデもある。

上に挙げた例ではこのハンデを割り切った上でいい部分だけを上手く使って演出を引き立てて臨場感、没入感を作り出している。

全てのソシャゲでこういうのを取り込むことはできないだろうけど、一つのソシャゲ演出の成功例として是非知っておいてほしい。

というわけでここまでソシャゲって演出大変だよね、の話。

ダンメモによる演出への違和感の「押し付け」と「踏み倒し」

ここらへんからが今回書きたかった本題。

それぞれのフォーマットの違いをダンメモが割と上手く吸収できてるなって思うよって話。

前提

原作読んでアニメ見た上でダンメモやってる制覇組な人間に関する話。

アニメとソシャゲのみ、他に触れずソシャゲのみな人は多分この話には当てはまらない、気がする(自分が制覇組なのでわからん)。

ダンメモの通常シナリオ(ベル編、アイズ編、レフィーヤ編。リュー編はここでは置いておく。)はアニメにて実装された内容を後追いで実装している。

ここで重要なのは『原作の内容』ではなく『アニメの内容』を実装しているってこと。

ラノベ、漫画、アニメ原作のソシャゲ、特にソシャゲ黎明期のものをプレイしたことがある人間はわかると思うんだけど、原作での演出を知った上でソシャゲをやると「…なんかショボくね?」ってなるんですよね。

上で話したとおり、制約が厳しいことによる結果。

特にソシャゲ黎明期のものは酷くて、シナリオは殆どなし、作中に出てくる敵の立ち絵と名前だけ出てきてそれをただ殴るだけ、みたいなのも沢山あった。モバゲーとかグリーとか、まだガラケー主体でリッチコンテンツの実装が無理って時代の話。

この「…なんかショボくね?」って違和感はかなり致命的で、時間を重ねるごとに原作派の人間のモチベがガリガリ削られるんだよね。

「押し付け」の話

で、ダンメモも結局そこは変わらず演出はラノベ、アニメと比べると本編シナリオの演出はしょぼい(言い方は悪いけどしょぼいもんはしょぼいのでしゃーない)んだけど、なんというかこう、その衝撃が他のコンテンツと比べると結構少ないんですよ。

自分は結構な過激派原作厨でラノベ→アニメもラノベ→ゲームもゲーム→アニメもだいたいどれもあんまり好きじゃないタイプの人間。

ダンまちは原作ラノベ。つまりラノベフォーマットに最適化されている作品で、その熱量と勢いが凄く(特に最初の方は文体とかそういうの捨てて勢いだけで突き抜けてる)、それによる最初の人気があったと思っているので、それを直接ソシャゲフォーマットに落としてきた時に失われる部分ってのは結構洒落にならないくらいのものであることが容易に想像できる。

じゃあなんでその衝撃が少ないか、って言うと途中にアニメフォーマットを挟んでるからなんだろうなと思っている。

言い方は凄くアレだけど、ラノベフォーマットから期待される二次コンテンツのクオリティと現実のギャップをアニメに「押し付け」ているわけです。

ラノベを読んで「おーすげー!」ってなった勢いを「アニメだとまぁこんなもんか…」で一旦削り、「ソシャゲになったらまぁこんなもんだよね」にうまく着地させている。

ただこれも雑にソシャゲフォーマットに着地させてるわけじゃなくて、「アニメの内容(特にセリフ)を忠実かつ丁寧にソシャゲに変換している(なんならアニメからカットをそのまま持ってきてる)」「キャラ立ち絵やガチャで追加されるイラストの作画など、一切手を抜いていない」「フルボイス」辺りの要因がちゃんとあってこの結果になってるんじゃないかなと個人的には思っている。

そんな感じでラノベから他のフォーマットに落とし込む時の違和感を上手くアニメに押し付け、そこから引かれる妥協ラインの上を上手く駆け抜けてるのがダンメモの本編シナリオ。

「踏み倒し」の話

じゃあ本編シナリオ以外は?って話になると、こっちもそのアニメの存在が非常に大きい。

ダンメモのイベントシナリオはだいたい全てオリジナルシナリオで、例外なのはOVAや劇場版のシナリオを実装しているものくらい。

そうすると本編シナリオのようにアニメからカットを持ってきたりもできず、立ち絵主体の演出になってしまう。

例によって原作厨な人間からするとこれはうーんどうよってなってしまう。

んだけど、ダンメモではアニメの存在に助けられてこの部分は割とどうにかなっている。

アニメでキャラクターが動いているところをプレイヤーは知っている。

また、アニメのカット(キャラの顔ドアップやモンスター集団登場的なの)を汎用カットとして使っている。

それによって例え立ち絵しかなくても容易に(少なくとも主要キャラは)脳内にその動きが想像できるんですよね。

このおかげでこのソシャゲフォーマット固有の違和感の大部分を「踏み倒す」又は軽減することができている。

後は各キャラの奥義演出とかもこの違和感踏み倒しに寄与してる印象。今回で言うところのアストレアファミリアのキャラクターとか特に。

ただ、敵の主要キャラだったアルフィアの魔法攻撃なんかは滅茶苦茶イメージし辛くてこの違和感が最後まで残ってしまった感じがある。いやまぁあれは例えアニメでもどう表現すんのよって感じだし、どんな表現でも違和感しかない結果になりそうな気はしてるけど。

総括

まとめると

・ソシャゲは演出の制限厳しい。プレイヤー側が嫌になるくらい。

・ゲームによってはそこら辺を上手く処理している

・ダンメモはラノベ→アニメ→ソシャゲと間にアニメを挟むことにより、ラノベ派の失望の衝撃を軽減しつつ、ソシャゲに落とし込めている

あたりが書きたかった話。

アストレア・レコードについて

ここからはイベントの感想。

ダンメモのアニバイベは毎年ラノベでもアニメでも存在しないオリジナルシナリオ。

一年目は時系列的に現代でベルが普通に主役を張ってる。多分制作陣も原作者も手探りなんだろうなって感じがあったのが凄く印象に残っている。

正直言うとアニメでやってる内容までしか実装できない制約の中でオリジナルシナリオがこのレベル感だとアニメガンガン放送しないとあと1年くらいでサービス終わっちゃうんじゃないかなぁと心配になったことをよく覚えている。

二年目は古代の話。

ちょいちょい作中で話題になるアルゴノゥト、つまりは昔の英雄の話。

登場人物は全員知らんキャラ。だけど現代組のデザインをベースにするいうかなり変則的な構成によってかなり受け入れやすい、理解しやすい感じになっている。

告知かなにかを見た時、確かに1からキャラデザを登場人物全員分やるのはまぁ厳しいだろうってのもわかるけど、これが作品群で正史のデザインになるであろうことを思うとかなり挑戦的なことやるんだなぁと思った記憶がある。

シナリオは非常に面白かった。正直これをソシャゲ内に閉じ込めておくのはもったいないなと今でも思っている。原作者様はクソ忙しいだろうけど外伝として出版するの待ってます。

ただ、まだやっぱりラノベやアニメの存在を前提としている中の演出って感じがしていて、ソシャゲに最適化できていない印象がなんとなーく残ってた。

で、三年目の今年。

原作が12巻からノンストップで突き進んできて14巻でリューの過去、これまで名前だけは出てきていた『正義』を司る神アストレアとファミリアの過去、暗黒期の終末その真相を追いながらの激戦を終え、ちょっと短編集でほのぼのな15巻が出版され読者も一段落したタイミング。

そこに突如ブチ込まれる「アストレア・レコード」の告知。ちょうどその最後の最後、結末を知ったばかりの『暗黒期』、まさか描かれるとは思っていなかったその暗黒期の真っ只中が描かれ、アリーゼ達が都市を守る正義の使徒として戦う姿を見ることができると知った時のその衝撃と喜びたるや。

正直今まで自分がプレイしてきたソシャゲイベントの中で一二を争うくらいには期待が膨らんでいた。

そして第一部が実装され、実際にプレイしてみてその期待のハードルを軽々と越えられたことを実感した。

この情勢下でボイスは後日実装となるアクシデントこそあったものの、それを差し引いても素晴らしい完成度。

去年のアルゴノゥト編と比べても明らかにソシャゲへの最適化が進んでいて、シナリオをプレイしていても違和感なく、熱量を持って楽しむことができた。

第二部も同様に楽しみ、第三部実装と同時にボイスも実装。

第三部はスキップ無しフルボイスでプレイ。

声がついていることの偉大さ、それによる作品への引き込まれ具合がどれほどのものか否が応でも実感させられた。

勿論このシナリオが最初ラノベとして世に出てもきっとそれはそれでとても楽しめたとは思う。

原作厨としては「ラノベとしても世に出せよ!」と叫ぶべきなのかもしれない。

それでもこのソシャゲフォーマットでの「文字を読むのを主体としつつも全てのキャラにボイスがついており演出も最適化された『ゲーム』としてシナリオに触れる」というのはそれはそれでとてもいい体験だということを知った。

ラノベともアニメとも違う、ゲームでしか辿り着けない一つの完成形がここにあると実感した。

ここまで作品を追ってきた1ファンとして、制作陣からこれだけ愛され、全力を注ぎ込まれた作品を受け取ることができたというのは本当に幸せなことだと思う。

この作品制作に関わった全ての人に感謝しつつ、今後の作品群の発展を期待をしていきたい。

そんなかんじで。

ところで新アリーゼ引かせてくれませんか…。